ゲームシナリオの考察~善と悪について~その1

がんたです。

たまには自称元シナリオライター志望見習いの卵の端くれとして、ゲームシナリオについてちょっと語りたい。
あと僕のライフ哲学テーマになっている「善と悪」についても語りたい。

まとまるかわからないけど、今回はメモみたいな感覚で、とりあえず残しておこうと思う。

今、「まおゆう」というアニメがやっています。
これは魔王と勇者が手を組み、魔族と人間の戦いを、戦争ではなく、経済の発展で人の暮らしを豊かにすることにより、終わらせようという物語です。

とても素晴らしいと思います。
勿論、現実世界を見ればわかるように、経済が発展したからといって争いごとは無くならないと思いますが、
でも、減るんじゃないかと思います。

それを考えると、他の争いの起こるシナリオというのはなんだか陳腐に見えてきませんか。
ゲームシナリオは、その殆どが何かと戦うものであるといっていいでしょう。
しかし本当に戦う必要があるのか? と突き詰めていったとき、最終的には、戦う必要があるのは、一番トップに立つものの
エゴのせいではないでしょうか。話し合いで折り合いがつくことだって沢山あったはずです。
自分の国を守るため、だったとしても、両者が本当に賢ければ、どこかで折り合いがついたはず。

どんなシナリオであろうと、争いが起こる以上、誰かの欲が原因です。
その欲をいかにくだらない物にしないかが、シナリオライターの腕前でしょう。

さて、ここで話を「まおゆう」のほうに戻すと、この作品は争いをなくそうとしています。
つまりは、誰かの欲を、争いが必要ない方法で満たそうという試みだと考えられます。
こうなると、普通のシナリオと違い、ラスボス敵な存在はいませんね。
強いて言えば、人間の欲そのものを倒す必要がありますが、そうなると完全に空想であり、
ファンタジー(幻想)ですらないでしょう。

何が言いたいのか早速わからなくなってきましたが、
つまり「まおゆう」のこのシナリオは、それこそドラクエを始めとするRPGに対し、
「お前らちゃんと頭使えば戦う必要ないのに、なにやっちゃってんの? ワロスw」
というメッセージを送ることができ、こういったRPGでどんなに感動のストーリーがあったとしても、
「いやそもそも戦う理由がなかったのに、それで仲間が死んだだのやっても、つまり無駄死にじゃね?」
となる恐れがあります。
RPGだけじゃありませんね。すべての争い事を背景としたシナリオに言えると思います。

そうなってくると、ラスボス(争いを起こす引き金になった人物)の意思を、作中で曖昧にしていく手法が
とられるようになっていきます。たとえばエヴァなんかは、勝手に人類補完とかってやりたいだけだったり、
自分の妻生き返らせたいだけだったりしますね。そこをどれだけ悟らせないか、曖昧にしていくかが
重要なのかと思いますが、僕はあまりこの手法は取りたくありません。。。

そうなると、きちんと主人公の目的、敵の目的をハッキリさせないといけません。
ですが、ハッキリさせると、これまでに言ったように、突き詰めていけば誰かの欲でしかありません。
この欲をいかに不可避なものに出来るか。争い事は避けられなかったのだということに出来るか。
そこが大事になってきます。

結局善と悪の話にあんまりなりませんでしたが、疲れてきたので今日はここまでにしますw

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