信じるということ。

こんばんみ、がんたです。

なんかよくわからないメンヘラチックな日記を今から書きますが、
たまーにこういうの書きたくなってしまうので、許してください。

今日のキーワードは、「信じること」「理解すること」「疑うこと」「それでも信じること」です

1.「信じること」

信じるということは、心のどこかで疑っているということだと思います。

信じることより、「理解している」という状態が理想的です。

「僕は今ここにいる、と信じている」なんて”常に”思っている人はいないでしょう。
わかりきったことは信じる必要がないのです。
なので理解していないものに対して、信じるという言葉を使います。まずこれが前提です。

2.「疑うこと」

相手を理解するために、まず疑います。

「この人本当は悪い人なんじゃないか」とか、「嘘付いているんじゃないか」とかですね。
それで疑って疑って、疑い切れなくなったとき。
この状態を、「理解している」ということにしましょう。厳密に言えば、本当に疑い切れなくなることなどないし、
つまりは本当に理解することなんて出来ないわけですが、”ほぼ”理解した。ということで、そう呼びます。

3.「それでも信じるということ」

さて、では我々は「信じる」のではなく、必ず「理解している」状態を目指すべきなのでしょうか。

まあこれは”出来ればそう”なのですが、理解するには時間が必要です。
なので多くの場合、「理解」に至らず、「信じる」ことがあります。
ですがこの「信じる」には1つ注意が必要です。

それは、「盲信」とは区別することです。
「盲信」とは、相手を一度も疑うことをせずに、「きっとあの人はこういう人だ」
というように、自分の理想を押し付けることを言います。これは信じるとは言いません。

「信じる」というのは、まず相手を理解しようとしていることが前提です。
でも現段階ではまだ理解できない。そんな時に許されることです。

そしてもう一つ。「まだ疑う余地はあるし、確かめることも出来るが、それ以上疑いたくないとき」
この時は、信じても良いと思います。
盲信との違いは、裏切られる可能性を考慮していること。
つまり疑う余地はまだある、と理解していることです。

「それでも信じたい」と思ったことこそが、「信じる」ということです。

まとめると、
「盲信」
「まだ理解出来ないので仕方なく信じる」
「それ以上疑いたくない(理想と違うのが怖い)ので、信じる」

この3つがあり、下の2つが「信じる」ということで、特に一番下は盲信にとても近いのですが、
相手を理解しようとしているか、裏切られたとして、それを受け入れる覚悟があるか。
その辺りが違います。そしてこれが一番美しい形での信じるということだと思います。

 

最後に、これで何が言いたいのかと言うと、
まず「盲信」は避けるべきです。相手に自分の理想を押し付けて良いのは、それを生業としているアイドル達だけです。
(まあ最近のアイドルはそこらへんを理解していないと思いますが)
そして「理解する努力」はするべきです。ただしそれは難しいので、そこで初めて、「信じる」かどうか、という選択肢が生まれます。
理解しようともしていないのに、信じるということは有り得ないのです。それは盲信なので。

これらを踏まえて、「信じる」という言葉を、そう軽々しく使って欲しくないのです。
「僕は君を理解したいけれども、まだそれは出来そうにない。でもどうしても信じたいので、
たとえ信じたことと違っていても、それを受け入れる覚悟は出来ているから、どうか信じさせて欲しい」
ぐらいの気持ちで使うべきだと。(まあ半分冗談で言ってますがw)

ただ「信じる」ってことは全部「盲信」のことを指すんじゃないのって人もいるかなーって思います。
まあ言葉の定義の話になってくるんじゃないかなって思うので、それは人それぞれで。

ということで、僕の考える「信じるということ」でした。

ちなみに、ランクヘッドというバンドの、「プリズム」という曲の歌詞

信じるって事は 何の根拠も
何の理由もない 証拠もない事だから
信じるって事は つまりそれは
それでも信じたいという事だ

という出だし部分から考えたことでした。
この曲聞いてから9年ぐらい経つけど、未だに考えてたよ。
ランクヘッド、素晴らしいバンドなので、みなさん是非聞いてください。

それでは、ゲーム作りに戻ります。

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